「普通」の正体は
こんな記事を読んだ。
「日本人が「通勤地獄」から抜け出せない、歴史的な背景」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170627-00000030-zdn_mkt-bus_all
ちょっと長めだったけど、とても興味深い記事だった。
理由は、現在の日本人のメンタリティの成り立ちについて
語られていたからだ。
日本人のイメージというと「勤勉」というワードが出てくるだろう。
しかしこのメンタリティの獲得してから、歴史的にはさほど長い時間が
経っているわけではなく、大体70~80年程度のようである。
詳細は上記リンクから辿って読んでもらえたらと思う。
ここ2、3日ほど、福本伸行先生の「天」という漫画を読んでいる。
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もちろん初めて読んだわけではないのだが、
ついつい何度も読み返してしまう魅力的な作品だ。
全18巻の作品だが、特に16巻~18巻は圧巻だ。
人はどう生き、どう死んでゆくのが望ましいのか
が描かれている、と個人的には思う。
特に好きな場面は、カリスマ性溢れるキャラクターの
アカギが、どことなく燻り続けている準主人公格キャラの
ヒロに「生き方」を諭す場面だ。
ヒロは現在の生き方にしっくりきていないものの
自分にある才能を顧みると本当に望む生き方は出来ないと考えている。
それに対してアカギは才能の有無で生き方を、結末を
決めつけること誤りであると語る。
しかし、その言葉を受けてヒロは
才能のない人間がそんな生き方をすれば人生の「敗者」と
なってしまうと反論する。
そんな辛い、惨めな人生を送るくらいなら、
惰性のような日々であっても今の普通な
「まとも」な人生の方がマシだと続ける。
しかし、アカギはひとつの問いを放つ。
そして「まとも」「正しさ」の本質を暴いた。
毎回この展開を知っているはずなのに読むたびに
鳥肌が立ってしまう。
「普通」「まとも」「正しさ」の存在は
言われるもなく重要だ。
「他人」が居てくれなければ「自分」を知ることも
出来ないように、真の自分の在り方を知るには
一度はこのフィルター(「まとも」等)は通ることを
強制されるだろう。
このフィルターは主に学校教育で得る。
うっとおしくて、邪魔くさく感じることもあるが、
これに沿って生きれば、幸せに生きられるのだそうだ。
しかし、そんな生活を送っていても
時に胸の奥から息苦しさを感じるのは、
何故だろう?
結局、「普通」とはアカギの言うとおり、
まやかしだからなのだろう。
そして僕は今、そんな「まやかし」を世の中から
取り除くこと仕事をしたいと願っている。